阪神・淡路大震災から15年。私の住むところはそれほど大きな被害はなかった。それでもいくつかの物が落ちたりはした。結構大きな揺れに目を覚ました。動けなかった。
ニュースでは交通が止まっているといったことは言っていなかったが、実際にはほとんどが止まっていた。神戸の震度が表示されていなかったのがおかしいとは思ったが、出勤した。しかし、交通のほとんどが止まっていたので、出勤できた先生や登校してきた生徒は多くなかった。2年生は修学旅行の代休だった。テレビで神戸の被害の大きさを報じているのを見て驚いた。被害が大きすぎると伝わるのに時間がかかるというのがわかったのもこのとき。
神戸に住む先生の話を後日聞いたが、家具が倒れるのではなく、飛び越えたというのがあった。自家用車も動いたという。交通が遮断され、長らく出勤できない先生もいた。
工芸高校では家族を含め、犠牲者は出なかったが、大阪市立の高校の中には犠牲者が出た学校がある。家族を失った先生もいた。
小学校や中学校では通常通り授業をしたところも多かったようだ。ただ、出勤できなかった先生がいたりしたようだ。