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英語で授業

高校の新しい学習指導要領が発表されたとのことで、新聞に概要が載っていた。
英語では基本的に英語で授業するそうだ。理想としてはよくわかる。しかし、余りにも現場をご存じない発想にあきれる。
来年度のための採用試験も既に終わっているので、来年度新採用の先生を含めて、その条件では採用されていない。果たしてどれだけの先生が可能かという問題が第一。そして、学校間格差という現実がある。授業が成立する学校もあるだろう。成立しない学校も少なからずあるという現実をご存じないのが恐ろしい。
さらに、生活する範囲内で英語が必要とされる場面が少ないので、会話力などを維持するのが困難という問題もある。
私は言語に関心を持ち、このブログでも「言語」というカテゴリーを設けている位で、一時期かなりの英語漬けにした。その頃は概ね6割強は聞き取れたと思っている。これだけ聞き取れれば、ドラマなどは十分に筋が追える。ニュースもテレビのニュースなら大体わかる。ラジオでは苦しい。スポーツの中継はかなり苦しい。しかし、今はやっていないので、3割程度か。

私はエスペランティストでもあるので、そもそもなぜ英語なのかというのが大いなる疑問なのだが。
私は中学生の時に教科書がイギリス英語からアメリカ英語に変わるという経験をした。今は恐らくアメリカ英語ばかりだと思うが、当時はどちらの教科書も存在していた。アメリカ英語一辺倒になったのは、アメリカの台頭によるものだが、今、アメリカの力が落ちつつある。完全に凋落するかどうかはまだ不明だが、ひょっとすると、と期待している。
東ヨーロッパではかつてロシア語が優位であったらしい。ソ連圏とでも呼べるものが形成されていたようだ。
日本も中華圏なので、かつては中国語が幅をきかせていた。漢文教育はその名残だ。漢文が国語の一環となっているのが、混乱の元だと思う。はっきりと中国語と位置づければよいと思っている。会話無視の逐語訳だけの中国語。
韓国の時代劇にも漢文は出てくるが、すべて音読み。

さて、いかがなりますか。

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2008年12月23日 23:07に投稿されたエントリーのページです。

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