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「グェムル」

韓国の映画「グェムル」の広告を見るたびに違和感を覚える。

日本語には有声音・無声音の対立があるが、朝鮮(韓国)語にはなくて、有気音・無気音の対立がある。

有声音とは発音のときに声帯の振動を伴うもので、無声音は伴わないもの。対立というのは、その違いは音韻の違いとして認識されるということ。濁音・清音の対立といった方がよいかも知れない。
つまり、朝鮮(韓国)語では有声音であるか無声音であるかは意識されない。

有気音とは発音のときに激しく息を吐き出すもので、無気音は強くは息を吐き出さないもの。日本語ではこれは区別されない。
中国語も同様なのだが、中国語の場合はまったく発音は変化しない。それに対し、朝鮮(韓国)語の場合は環境により発音が変わる。

ここでようやく本題なのだが、「グェムル」というのは「怪物」の朝鮮(韓国)語音。この語を単独で読むと「クェムル」になるはず。私が違和感を感ずるのはこの点にある。この語の直前に有声音が来ると「グェムル」と発音される。
中国語では環境による発音の変化がないので、単独であろうが、複合語であろうが、その語の発音さえ写せばよいのだが、朝鮮(韓国)語では環境により、日本人にとっては区別される音韻の間での変化が起きることがある。これが、日本語に写すときの難関。
例えば、「冬のソナタ」で「カン・ジュンサン」と「チュンサン」に戸惑った人も多いのではなかろうか。「チュンサン」と単独で呼ぶときは清音なのだが、姓の「カン」が有声音で終わっているために姓名で呼ばれるときは「カン・ジュンサン」となってしまう。

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2006年8月30日 22:56に投稿されたエントリーのページです。

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